その言葉に愛はあるか。

ことばの生まれるところを掘っています。掘るところ見つかりそうなアラサー。上京日記。

手のひらが良く分かっている。

 

昔は居たはず

魚の切り身をみて「こんなの魚じゃないじゃない」って、

買わない人が。

私は今日、一尾の魚を買って捌いて思った。

これが本当の魚だったんだって。

 

内臓がある、きちんと卵が詰まっている、

まな板もきちんとどんどん赤くなっていく。

引きちぎるという感触。手にまとわりつく、体の切れる感触。

するめとかじゃなくて。

命を引きちぎるという感触。

しっかりくっ付いていて取れそうにないものを引き剥がす。

 

一瞬もう調理できないかと思った。

315円の命。小鯛。

魚の眼が私を見ている気がする。

死んでいるからよかったと思ったけど

いつも私の前の魚は死んでいるわけで。

 

内臓を見て、人だったら人だったら人だったらが

抜けない抜けない抜けない

抜けてたまるか

初めてだもの色々思うよ

怖いよ怖いって思ったらだめとか言うな

怖いものは怖かった。

 

でも、おいしく食べるのが私の義務である!

なんて大げさではないけど

おいしく食べなくちゃとはすごくおもったわけ。

 

鱗がはがれるあの瞬間。

包丁を腹に刺して、おそらく肛門から出てくる内臓。

もしかしたらうんこの残りかもしれない。。

 

もう、命だった。まさしく命。

 

 

「ごめんなさい!」と思わず台所で叫んだ。

お母さんすごいと思った。

お魚屋さんもお肉屋さんも、主婦がすごいと思った。

毎日捌いていると思ったら、

売られている切り身のように美しく食卓に並べる技術と

向き合う強さと、何でもないと命をフェアに見る心に

本当にすごいと思った。

 

私はきっとどこかで差別をしている。

綺麗に整えられた切り身しか知らない。 

 

 

命はスーパーにごまんと売っている。

 

次は捌いてもらおうと思ったけれど

綺麗にさばけるようになって、

もっとおいしく食べれるようにならなきゃと思った。

 

今日から秋だと私は思う。

涼しくて空気ももう挑発的でなく優しい。