その言葉に愛はあるか。

ことばの生まれるところを掘っています。掘るところ見つかりそうなアラサー。上京日記。

主語を相手か自分にするか。

ものを考えるときに

自分主語で考えるか、相手主語で考えるかで、

全然違ってくる。

私はかなり自分主語の人間で、

私さえ良ければいいって本気で思っていた。

今でも思っている部分があるけど、

人が好きなのが功を奏したのか、年のせいかだんだん

主語を人に譲るようになってきた。

 

あなたどうおもう?どうしたい?

あなたが良いので良いよ。

あなたが○○だから、××にしよう。

 

とかそういうのが自然に出来るようになった。

 

で、それをしすぎて私が今度不在になってきた。

不在になったといえども、自我は強いほうだし、

軸みたいな譲れないものもバッキバキに持っている。

 

なんだか自分のことがよく分からないという事態。

 

みんなどこで折り合い付けているんですか?

ケンカも意見の交換も、

連絡の頻度も、会う回数も、

すべて折り合いか。

 

折り合いのつけられる人と付き合えばいいわけね。

折り合いを付けようとして、

恋とか愛が邪魔をするから、ややこしくなるんだね。

 

恋と愛と折り合いは別物だと書いてやっと気づくもうすぐ29歳。